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BNCT療法

BNCT療法とは

ホウ素中性子捕捉療法(BNCT療法)は、比較的エネルギーの低い熱中性子線(<0.5 eV)をガン組織に照射し、予めガン組織に取り込ませたホウ素(10B)化合物との核反応によって生成するα線とリチウム核(7Li)によって、選択的にガン細胞を殺すことができる、副作用のきわめて少ない治療法です。その核反応は、

10B + n [11B]→ α + 7Li 、 あるいは、 10B (n, α) 7Li

と表わされます(下図を参照。α線はヘリウム核[4He]と同一で、元素記号の左上の数字は質量数を示します)。
 生成するα 線と
7Liの細胞殺傷能力が高いだけでなく、それらの到達距離が5−9ミクロンと、ほぼ細胞一つの大きさに相当するため、結果としてホウ素を含んだ細胞のみが殺傷され、周辺の正常細胞は損傷を免れることができます。
 この理由から従来の放射線治療では治療が困難とされている浸潤性のガンや多発性のガン、とりわけ放射線に弱い神経細胞等に浸潤したガン(これは外科的にも治療が困難とされている)等に対して、隣接する正常細胞を破壊する事なく腫瘍細胞のみを死滅させるため、現状ではもっとも理想に近い治療法と言われています。

 エネルギーの低い熱中性子は皮膚から内部への到達距離が短いため、最近ではもう少しエネルギーの高い熱外中性子(1−10 keV)が用いられるようになってきました。 一方もっとエネルギーの高い速中性子は、それ自体で細胞への影響が大きいばかりかホウ素との反応性も小さくなるため、BNCT療法ではほとんど使用されません。



BNCT療法用ホウ素化合物

 BNCT療法では、ホウ素化合物をどのようにしてガン細胞のみに選択的に取り込ませるかという薬剤送達システム(ドラッグ・デリバリー・システム、DDS)がきわめて重要になります。現在臨床試験で使われているホウ素試薬は、BPA(フェニルアラニンというアミノ酸との化合物)と、BSH12ヶのホウ素原子を篭型に結合した化合物)と呼ばれる10B化合物です。なお天然のホウ素は、11B80%10B 20%含まれているため、10Bを濃縮精製する必要があります。  
 これらの二つの10B化合物の内、BPAは通常のアミノ酸輸送系によって細胞へ入るため、増殖速度の速いガン細胞に取り込まれやすいと考えられています。さらにBPAは脳血液関門を通過することができます。
 一方、水溶性のBSHはふつうには脳血液関門を通過することはできませんが、脳腫瘍の場合、腫瘍部の脳血液関門が損傷しているため通過してガン細胞に近づくことができると考えられています。最近、BSH12時間前、BPA1時間前に、それぞれ静脈経由で注入し、熱外中性子を照射する方法が報告されています。
 日本を中心として第2相試験が行なわれているのは、治癒の困難な悪性の脳腫瘍(悪性神経膠芽腫)とホクロが悪化した皮膚ガン(悪性黒色腫)です。他に頭頸部ガン、耳下腺腫瘍や滑膜切除による関節炎治療にも適用されています。
 
BNCTの治療例は世界的には450例近く報告されていますが、その内260例以上が日本で実施されており、5年生存率の延長や腫瘍の消失が報告されています。*1) 厳密な意味では、無作為抽出試験による他の治療法との比較が必要ですが、治療の困難な脳腫瘍が主な対象ですので、簡単にはいきません。中川ら(香川小児病院)によれば、2、5、10年生存率がそれぞれ11.410.45.7%と、松村、山本ら(筑波大学)によれば、膠芽腫と退形性星状細胞腫の生存期間中央値がそれぞれ23.733.3ヶ月など報告されています。
*1) Barth ら、‘Boron neutron capture therapy of cancer: current status and future prospects.’ Clin. Cancer Res. 2005 11:3987-4002.  
   他の参考資料、ここから

BNCT療法の現在の問題点とその解決を目指して

現在、治療のための中性子源は世界的にも原子炉に限られており、日本では京都大学付属原子炉実験所および日本原子力研究開発機構の二箇所の原子炉でのみ行われています。
 しかし原子炉の場合、医療スタッフが常駐していても、医療設備は病院のようには完備されてなく、一般的には都市部から離れた場所にある原子炉施設に患者が出向いて治療を受けることが必要となり、1日当たりせいぜい1ないし2照射しか実施できません。
 そのため病院内に設置できるような中性子源用の小型加速器が強く求められています。もしそれが実現すれば、患者の負担は大幅に軽減され、また適応症の拡大、分割照射、手術中の照射などさまざまな治療技術が可能になるといわれています。


 BNCTがさらに第3相、4相試験を経て、次世代の化学放射線治療に発展していくためにどうしても必要な点は、
(1) 病院内に設置・利用が可能な中性子源用小型加速器の開発、
(2) BNCTに要求される効率で、ガン細胞を選択的に標的化できるホウ素薬剤とその送達法の開発、(ガン細胞におけるホウ素濃度は20 ppm以上)
(3) BNCTによるα線とリチウム核の発生と同時に、抗ガン活性やガン免疫性など他の対ガン細胞毒性機能を複合した腫瘍選択的ハイブリッドDDS製剤の開発、
(4) 肺ガン、前立腺ガン、肝臓ガン、乳ガンその他のガン治療のために、病気毎に特異的なホウ素試薬の開発、
(5) 様々なガンに対するBNCT療法の対費用効果の向上、

などが挙げられます。

 本事業では、以上の課題に向けて、加速器の開発(FFAG加速器の項参照)、DDS製剤の開発(DDS製剤の項参照)、およびBNCT療法に適する治療計画、線量測定システムの開発を一体のシステムとして開発します。
 この、加速器型中性子源と腫瘍細胞集積力を高めた10Bおよび抗ガン剤を内包するDDS薬剤の両面からの開発によって、従来の放射線治療では困難とされる浸潤性・多発性のガンの治療と転移・再発の防止に対する理想的な治療システム---次世代DDS型悪性腫瘍治療システム---を開発することを目指しています。



DDS製剤

DDSとは
 DDSはドラッグ・デリバリー・システム(Drug Delivery System)の頭文字をとったもので、薬剤送達システムを意味します。疾病を治療するためには、「必用な時に、必要なだけの量の薬物を、必要な病巣に、選択的に送り届ける」ことが必要になります。通常薬を服用しても、必要成分が途中で希釈、分解、捕捉され、体内の目的患部に到達する量はわずかになってしまう場合がありますが、DDS技術によればそのようなことを防ぎ、薬物を効果的に患部に作用させ、患部以外への副作用を少なくすることができます。また与薬方法を注射や点滴から、服用に変えることもできます。
 DDS技術は、必用な時に必要量の薬物を放出する薬剤放出(徐放)技術、薬物を標的とする組織に送り届ける薬剤標的化技術、薬物の吸収率を高める薬剤吸収制御技術から成っています。ガン治療におけるDDSは、抗ガン剤や放射性物質を化学的に修飾するとか、ミセルやリポソームと言われるナノキャリア(微小運搬体)に封じ込めて、ガン組織へ選択的に送り込むことです。

BNCT療法に係わるDDS製剤

BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)においては、ホウ素化合物をどのようにしてガン細胞のみに選択的に取り込ませるかというDDS技術がきわめて重要になります。そのようなホウ素化合物を開発することは、50年前から進められている最も困難で重要な課題です。その条件として、水溶性で毒性の低いこと、ガン組織への取り込み特性が高いこと(ガン組織における濃度が20 ppm以上)(腫瘍/脳、腫瘍/血液などの濃度比が34以上)、照射時までの間の血液中や正常組織からの速い除去率とガン組織における高い滞留性などが必要とされます。

オハイオ州立大学のBarthらの分類によると、DDS製剤は以下の3世代に分類できます。
1世代DDS製剤は、1950年代と1960年代初めに用いられたホウ酸とその誘導体で、ガン細胞への選択性はありませんでした。
2世代DDS製剤は、現在臨床試験に用いられているBPABSHです(BNCT療法の項参照)。1960年代に出現したBPABSAは、静脈からの与薬法が確立しているといわれています。これらはガン細胞に選択性を示すものの、増殖速度の速いガン細胞に取り込まれやすいというような、いわゆる受動的な標的性です。

これに対し3世代DDS製剤は、能動的標的性のもので、標的とするガン細胞を認識し、あるいは特異的に結合する部分を有したホウ素製剤です。本事業では、この能動的標的性のDDS製剤を開発することを目指しています。
本事業におけるDDS製剤
 ガン細胞への集積性を有することが知られているポルフィリンを結合した新しいホウ素ポルフィリンDDS製剤、具体的には、BSHBPAとポルフィリン類を共有結合したホウ素化合物を開発します。またホウ素化合物を含有したリポソームや高分子キャリアなどの運搬体がガン細胞に選択的に到達できる技術を開発します。
 リポソームを安定化することが知られているコレステロールのホウ素化合物を調製し、リポソームに組み込みます。これにより、ホウ素中性子捕捉反応によって効率良く破壊されるリポソームを開発し、封入した抗ガン剤を効率的に徐放する技術を開発します。同時にホウ素中性子捕捉反応によって壊れやすいリポソームの脂質組成の検討を行います。不活性化センダイウイルスを用いて、能動的標的性の、さらに免疫活性化機能を有する細胞融合ナノ粒子の開発を行ないます。
 本事業においては、治療部位であるガン細胞内のホウ素濃度をできるだけ高め、かつ、正常組織のホウ素濃度を低く抑えるようなDDSを開発すること、さらに抗腫瘍免疫の増強により局所の腫瘍抑制のみならず、転移など遠隔部位の腫瘍の抑制や、腫瘍の再発の抑制も可能にするような治療法の開発を目指します。


中性子線


中性子の性質


 中性子(ニュートロン、記号ではnとあらわす)は陽子とともに原子核を構成する粒子で、重さは陽子とほぼ同じですが、電荷は陽子が+1(電子の持つ電荷量を1とする単位)の電荷量を有するのに対し、中性子は電荷を持たない中性の粒子です。また中性子は単独では不安定な粒子で12.5分の半減期でベータ崩壊という現象を起こし陽子に変わります。

 中性子は電荷量が0であるため他の核の強い電場に妨げられることなく、陽子などに較べ極めて低いエネルギーの状態でも他の原子核に容易に衝突し反応を起こします。
 中性子と他の原子核との反応には主に吸収と散乱とがあります。吸収では中性子が相手の原子核に取り込まれてしまう反応で、遅い中性子によるものと高速中性子によるものとがありますが、遅い中性子による反応の方が断面積も大きく実用的にも重要といわれています。
 散乱反応では中性子は衝突の相手にエネルギーを与えますが、取り込まれることなく自身はエネルギーを失いながら運動の方向を変えさらに飛行を続けます。
BNCT療法における中性子の役割

 BNCT療法では熱あるいは熱外と言われる極めて低いエネルギー(総じて10KeV以下)の中性子線を用いますが、これは10Bによる低いエネルギーの中性子線の吸収現象を利用したものです。 吸収後、10Bは質量数が1増えて同位体の11Bに変化しますが核として不安定となりα 線(アルファ線)Li(リチウム) とう言う核に分裂します。
 これから分かるように、ガン細胞にあらかじめ10Bを送達しておき、これに上記の低いエネルギーの中性子線を照射すると、10Bが中性子線を吸収しガン細胞の中で核の分裂を起こすことになります。
 分裂により飛び出したα は放射線として腫瘍細胞の中をおおよそ10ミクロン程度(これはほぼ一細胞分の大きさに相当)飛行して停止しますが、そのときこの新しい放射線がその細胞の遺伝子DNAを破壊し細胞を死滅させることになります。 

 以上から分かるように、BNCT療法では、低いエネルギーの中性子線(人体への直接の影響は小さい)で直接ガン治療するのではなく、ガン細胞の中での核分裂によって新たに生じた放射線(α 線、Li)の強い細胞殺傷力によって、ガン治療を行うものです。
エネルギーの高い(高速)中性子では

 高速の中性子は他の原子核と衝突を繰り返しながら、次第にエネルギーを失っていきます(減速)。衝突の相手が重い原子核の場合、重い核はあまり影響を受けず中性子がエネルギーを失い運動の方向を変えて飛行を続け、また次の衝突を繰り返します。しかし相手の原子核が軽い場合には、衝突された原子核も大きく影響を受け弾き飛ばされるようになります。
 これはよく自動車の衝突で例えられます。止まっている大型トラックに小型車が追突したような場合、トラックはほとんど動きませんが小型車は大破して弾かれます。一方小型車に同じような大きさの車が追突した場合には、追突した車は速度を大きく落とす代わりに、追突された車は前方に大きく飛ばされます。

 高速の中性子が人体に照射されると、人間(細胞)の体内に多くある水分子の水素原子核(これは陽子そのもの)と衝突を繰り返しますが、このとき陽子と中性子はほぼ同じ質量であるため上の小型車同士の衝突のような事情になり、衝突された陽子は次々と弾き飛ばされます。この飛ばされた陽子が細胞の中でDNAを損傷し、場合により細胞を死滅させてしまいます。このため高速の中性子線は低いエネルギーの中性子線に較べ、人体に対しはるかに大きな害をおよぼすことになります。

 


FFAG加速器とは

歴史

 FFAG加速器は粒子加速器の一種で、「Fixed Field Alternating Gradient」の頭文字をとったものです。日本語訳では「固定磁場強収束」と称されますが、一般的にもFFAGと呼ばれています
 FFAG加速器の特徴は、従来のサイクロトロンシンクロトロン加速器のそれぞれの長所を兼ね備えたもので、これまでの加速器では不可能だった大電流で速い繰返しの加速が可能という優れた特徴をもっています。

 FFAG加速器の原理は、1950年代に日本人物理学者大河千弘氏を含む複数のグループによって独立に発案され、程なく電子を加速するFFAG加速器は開発されましたが、陽子を加速することについては技術的困難さから長く実現しませんでした。それから50年近くを経て、同じく日本人らの手によりそれまで困難であった特殊な形状を有する電磁石の製作と高周波加速空洞の技術的解決がなされ、2000年になりFFAG加速器によって初めて陽子ビームの加速が行われました。
 以来日本では複数台のFFAG加速器が製作されビーム加速に成功し、加速器の特性研究・応用研究が盛んに行われていますが、現時点では日本以外ではFFAG加速器による陽子ビームの加速はまだ行われていません。しかしながら、FFAG加速器の優れた特徴に注目して外国のいくつかの研究機関でもFFAG加速器の開発に向けた設計研究が始められています。

形状と特徴

 FFAG加速器は円形加速器の一種で複数の軌道電磁石がリング状に配置されます。円形加速器には大きく分けて、磁場の強さが時間的に変化しないサイクロトロンと、加速される粒子のエネルギーに同期して時間的に磁場を強くしていくシンクロトロンがあります。サイクロトロンでは粒子のエネルギーが高くなるにつれて、粒子の回転軌道半径が大きくなりますが、反対にシンクロトロンでは磁場の強さが大きくなり粒子はいつもほぼ同じ半径の軌道を回ります。

 これに対しFFAG加速器では、リング状に配置された電磁石の磁場は時間的には変化せず(固定磁場)、空間的に軌道の外側に行くにしたがって磁場が強くなるように作られます。これによりサイクロトロンのようなエネルギーの実質的な上限はなく、またシンクロトロンのような磁場の時間変化による速い加速繰り返しに対する制限もありません。
 またFFAG加速器では粒子の回る軌道の範囲内ではビームの発散を防ぐための収束条件がどこでも同じになるように作られるため、FFAG加速器の半径方向のビームアクセプタンス(ビーム受容能)を他の円形加速器に較べ1,00010,000倍も大きくすることが可能となります。

 以上からFFAG加速器では先に述べたように、従来のサイクロトロンやシンクロトロン加速器のそれぞれの長所を兼ね備えて「これまでの加速器では不可能だった大電流で速い繰返しの加速が可能」と言う優れた特徴を有することになります。
 その他、磁場が一定であるので、加速空洞の同期調整が必要なくFFAG加速器の運転調整が易しく、さらに構造的に軌道半径1〜2mのような小型のリングを作ることも可能で、建設コストも少なくすることができます。

本事業におけるFFAG加速器

 現在、BNCT療法のための各種の加速器型中性子源の開発が各国で行われておりますが、それぞれ加速器製作上の技術的困難を抱え実現するには至っていません。
 そのような中で本事業では、上に述べた日本の加速器技術によって世界で始めて陽子の加速に成功したFFAG加速器の諸特性(小型性、強収束性、大きなビームアクセプタンス、高繰り返し運転、又FFAG加速器をエミッタンス回復型蓄積リングとして使用すれば中性子線の発生時間率を100%近くにすることが可能で、これによりこれまで開発上大きな問題であった必要とされる平均のビーム電流を大幅に低減出来、多くの技術的困難の解決が可能となるなど)に注目し、これに新しく考案されたエミッタンス回復型内部標的(ERITEmittance Recovery Internal Target)の技術を組み合わせることによって、病院内で原子炉に相当する中性子線量の供給を可能とする加速器システムを、近い将来に全国規模での普及が可能なものとして開発することを目指しています。