特別解説記事(2006-01-18)

「悪性脳腫瘍に対する中性子捕捉療法の過去・現在・未来」   
                      
筑波大学大学院教授  松村 明 先生

 本特別解説は、1月18日に行われた当研究機構第2回技術委員会において、当研究開発のプロジェクトリーダである松村明教授(筑波大学大学院)より報告された研究開発に関する説明をもとに、事務局において解説記事として文章化したものです。なお本文内容については松村先生のご了解を得ております。
 章立ては内容をわかりやすくするため、事務局において行いました。



 ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)という治療法の過去・現在・未来について述べる。

 1、悪性神経膠腫と放射線治療

 悪性神経膠腫(グリオーマ)の臨床経過は、通常、手術により腫瘍部を取り除いた後、X線照射と(絞って線量を増加した)ブーストと呼ばれる分割照射を行なう。その後、脳には脳血液関門があり、抗ガン剤が通りにくいものの、ACNUなどの抗ガン剤治療を続ける。この腫瘍の根治は極めて難しい。
 手術後の悪性神経膠腫の放射線治療は、X6064 Gy(グレイ)の外照射(1日当たり1.8-2 Gy)30回程度、すなわち68週間、患者の方に通ってもらう。さらに20-30 Gyのブースト照射を追加する。悪性神経膠腫の治癒には、90-100 Gyに相当する大量の放射線が効果的という報告もあるものの、いかに正常脳を保護しつつ、治療線量を上げるかが問題である。浸潤性の高い、しかも脳という最も繊細な部分の悪性脳腫瘍の根治は今後の課題である。

 2、通常の放射線治療とBNCT療法の比較

 筑波大における治療例から紹介すると、通常のX線、陽子線、BNCTの各治療における再発までの月数は、それぞれ5.18.513.4月であった。BNCTの例数はあまり多くないが、他の方法より有意 (p = 0.015) に再発が抑えられていることがわかる。一方、平均生存月数は、12.515.017.3月で、BNCTで最も大きい値が得られているものの、有意の延長は得られていない(p < 0.2)

 悪性神経膠腫に対する粒子線治療は陽子と炭素などの重粒子で実施されている。陽子線は、(筑波大、兵庫、静岡、 Loma LindaMGH)などで、また重粒子線 は(HIMACGSI)で実施されている。放射線の生物への影響については、生物学的効果比RBE(Relative biological effectiveness)という尺度が使われているが、陽子線のRBE1、重粒子線のRBE3と高い。両者ともX線とは異なり、ブラッグピークと呼ばれる、ある深さで大きな比電離能を示し、物理的に精巧な線量分布が得られる。そのピークに腫瘍部位を合わせることによって効果的にガン細胞を敲く方法である。ブラッグピークより奥へは達しないため、奥にある正常細胞には影響しないものの、一定の奥行きのある腫瘍部をたたくためには、エネルギーの異なる粒子線を当てる必要があり、表面側の正常細胞が受ける線量は、腫瘍部の80%にもなる場合もある。 

3、BNCT療法、原理と歴史的経過

 これに対しBNCTでは、ホウ素の中性子捕捉反応によって生じるアルファ粒子線とヘリウム核(そのRBE3-4と高く)によってガン細胞を敲く方法で、アルファ粒子線とヘリウム核の飛程距離は細胞1個以内(10ミクロン以下)であるため、ホウ素を含む細胞のみが強い攻撃を受ける、すなわち薬剤濃度で線量分布が決まる細胞選択的な方法である。そのためにBNCTは、正常と腫瘍の線量を区別できる唯一の放射線治療といわれているが、ホウ素薬剤の腫瘍選択性が必須であり、選択性の高い新規DDS薬剤の開発が必要となる。
 1997年以降のBNCTの取り組みについて話すと、原研ではJRR-2号炉からJRR-4号炉へと移ってきたが、それは熱中性子から熱外中性子へのより高いエネルギーの中性子への動きであった。京都大学のKURも同様の改変を行なった。熱外中性子の方が組織浸透性が高く、開頭手術なしで治療を行なうことが多くなった。線量測定技術の改良においては、開頭後、熱中性子束を金線で測定する方式(1999年まで)から3次元的な線量評価システム(JCDS)へと発展してきた。ホウ素化合物では、篭型のBSH単独使用からBSHBPAの併用へ、薬剤分布の評価では、組織採取による測定からPET診断へと発展してきた。
 世界的には、ヨーロッパで5ヶ所、アメリカ大陸で2ヶ所、日本で2ヶ所など約10ヵ所において実施されている。BNCTは非常に良い治療法ではあるものの、現状では限られた研究用原子炉での臨床研究に留まっている。その点から今事業の病院に設置可能な加速器に期待することは大きい。

 4、BNCT療法、日本の状況

 筑波大におけるBNCTの現状を紹介する。以前は東海村に協力病院があったが、現在は患者さんをつくばから原研へ搬送している。60 km離れているため、車で1.5時間を要し、マンパワーでも医療安全性の面でもむずかしい。開頭手術なしで治療するため日帰りで行なっている。医用ヘリコプターを用いることもあり、この場合は15分で搬送可能であるものの、ヘリに麻酔医2人と、脳外科医が同乗している。
 ホウ素(10B)は、エネルギーの低い熱中性子(<0.5 eV)と捕捉反応を生じる。しかし熱中性子の細胞への付与エネルギーは、表面近くをピークとして組織内で減衰するために深部の線量が不足し、開頭手術が必要であった。原研のJRR-4号炉に備えられた手術室で、開頭手術後中性子を照射し、腫瘍部が数ヶ月で完全になくなる治療例を得てきた。しかし開頭手術は患者さんの大きな負担になる。
 この問題を解消する目的で熱外中性子(110 keV)による非開頭治療研究が行なわれてきた。金線による中性子束の測定は、熱中性子しか測定できないため、熱外中性子治療のために新しい線量評価システム(JCDS)も必要であった。熱外中性子は、組織に浸透しエネルギーを失う過程で、熱中性子となるため、5cmの深さまで十分な熱中性子を形成できる。JRR-4号炉には手術室に、中性子線位置合わせシミュレーション装置も2000年より使用している。線量評価システムは原子炉用のものであるため、加速器に適用できるシステムにする研究も原研チームで行われている。
 ここで原子炉の問題点を挙げると、(1) 病院から離れた研究施設の制約、(2) 利用効率の悪さ(人的・物的)(3) 原子炉特有の法規制(遅延期間)、(4) 臨床的安全性(入院、搬送など)、(5) 照射角度は水平のみ、とまとめられる。
 

5、BNCT療法の課題

 熱外中性子による非開頭外照射の最初の症例では、2ホウ素薬剤(BSHBPA)を併用し、再発した退形成性星細胞膠の患者さんに照射した結果、5週間後には腫瘍の速やかな縮小効果と浮腫の軽減が認められた。先に述べたようにBNCT療法でまだ有意な平均生存月数が得られていない点から、今後最も重要であるのは、ホウ素薬剤の腫瘍集積性(いわゆるDDSDrug delivery system)改善である。現在、照射12時間前にBSHを、1時間前にBPAを静注しているが、線量は中性子線量とホウ素濃度で決まるため、最低30 ppmの腫瘍部ホウ素濃度が要求される。
 次にBNCT治療後の再発様式について述べる。今までの治療実績から、元の腫瘍部(局所)に再発、遠隔部に再発、周辺に広がる播種、再発なし、の順に所要線量が増加する。当然その増加とともに正常細胞も損傷を受けやすくなる。いいかえるとBNCTでは局所再発は良く抑えられるものの、悪性神経膠腫のように浸潤性の高いガンでは播種を防ぐ必要がある。現状ではα線(BNCT)X線を併用した高線量照射方法、さらにACNUの併用化学療法によって播種を抑えられるか試験している。そこでは6 cm以下の腫瘍部に集中的に中性子線を当て、その後播種を防ぐためにより広い範囲にX線を分割照射する。播種に対して、当プロジェクトで進められているアジュバンド効果(免疫賦活作用)を付与できれば、根治への道が開ける。
 薬剤分布の評価法については、言語野に障害を受けた患者さんの例を紹介する。手術で取り除けなかった悪性神経膠腫をBNCT照射する際、18FでラベルしたBPAを用いた。照射6ヵ月後には腫瘍部がほとんど見えなくなり日常会話の問題ない状態にまで回復した。18F-BPA濃度を PET(ポジトロン放出断層撮影法)により測定した結果、腫瘍部と正常部との比T/N7.8という良い値が得られている。このような差別化は他の放射線治療ではむずかしいだけでなく、治療評価にも使えると思われる。PETは照射時には測定できないため、生体内ホウ素濃度を即発γ線により実時間測定するための研究が原研で進められている。

 6、悪性神経膠腫以外へのBNCT療法の応用

 他臓器へのBNCTの応用として、これまでに臨床応用された腫瘍例は、メラノーマ(川崎医科大、筑波大)、耳下腺ガン・扁平上皮ガン・骨肉腫(大阪大、川崎医大、筑波大)、肝臓ガン(Pavia Univ-INFN、京大)、肺ガン(京大)などが挙げられる。さらに今後臨床応用予定の腫瘍として、炎症性乳ガン(東大)、膵臓ガン(東大)、甲状腺髄様ガン(京大)などがある。また腫瘍以外の応用では、膝関節滑膜増殖症(MITHarvard)、血管の再狭窄予防照射などが考えられている。

 7、加速器中性子源によるBNCT療法

 BNCT用加速器が実現すると、(1) 病院内でのBNCTが可能となり、安全性、人的・物理的機能性が向上する、(2) 分割照射が可能となる(ホウ素の再分布、安全性の向上)、(3) 疾患の適用拡大ができるなどがあり、臨床医の側からのBNCT用加速器の条件として、(1) 現在の原子炉と同程度の中性子fluxを有すること(1時間以内に治療を終えることができる(2) 高速中性子成分が充分にカットされていること、(3) 水平・垂直ビーム(回転ガントリー)があることなどが挙げられる。
 BNCT加速器とそれに適用できるDDSの早期実用化が強く望まれている。

(以上)



(質疑)

質問:(ガン以外だが)関節や血管の場合のホウ素化合物は同じものを使っているのか?
松村:様々なホウ素化合物があり、炎症性細胞や内皮に集積しやすいものもある。関節の場合、局所に投与するため、ホウ素濃度は数千ppmに高められる。
質問BNCTと他の放射線治療で、症例が少ないために、生存月数に有意差が見られていないが、再発ついて、局所再発なのか、あるいは飛び火した再発なのか?
松村BNCTの局所再発例は1例のみで、局所制御性は高い。播種すると脳脊髄全体に飛び火して治療が困難になる。その点からもホウ素化合物にアジュバンド効果を持たせようという研究が重要だと考える。
 
質問:全身的な静注による投与法で集積ができるのか? 
松村:余り選択性のない篭型のBSHと、フェニルアラニンを結合したBPAが使われている。BSHは正常な脳血液関門を通過できないが、腫瘍部では関門が破壊されており脳内に入ると考えられている。BPAはビトロ試験では、停止期の細胞には入らず、増殖の活発なガン細胞に入りやすい。実際ガン細胞と正常細胞における濃度比は、3/1から4/1である。紹介した18F-BPA7.8という値が得られている。取り込み機構の異なる二つの化合物により、腫瘍部のホウ素濃度を高めている。